COLUMN
お役立ちコラム
2025.04.09|感情不登校メンタル
健康日本21には、メンタル、こころ、うつなどの用語が書かれています。これらだけでなく、医療や福祉には人の感情がかかわるので、その影響について一つだけ取り上げます。
ある方の話です。その方は、時に学校に行けず、家を出ても通学電車で目的の駅まで行けず途中で降りて帰宅します。学校に行けたときでも、学校に着いてから人と話ができません。勉強に集中もできません。勉強でわからないことがあってもだれにも相談できません。次第に勉強もついていけなくなりました。それを回避するために『どうしよう。どうしよう。』と自問し、人に話しかけるのも話しかけられるのも避けて俯いてみたり、相手の目を見ないでいたりとかして、やり過ごしました。そうした中、あるきっかけで私が相談を受けました。
この人の特徴がわかりますか?医学的には診断名はあるのですが、この人の特徴を一つだけ取り上げるなら、それは「すること」で<物事>を解決しようとしていることです。人間にとって、<物事>を「すること」は大切です。「すること」で<物事>が改善します。しかし、この方は、<物事>を改善するためでなく、<物事>ではない自分と他人の<関係>を改善するために「すること」を重視している点に特徴があります。
自分と他人の<関係>には、感情が重要な役割をはたしています。自分と相手が、楽しい、嬉しい、悲しい、辛いなどと「感じること」で人と人はつながります。この人は、そうした感情があるのに、それを自分一人で「すること」によって解決しようとします。電車を降りるのも、『どうしよう』と自問して考えるのも、相手に声をかけられないように俯くのも、相手の目を見ないのも、どれも「すること」という自分の行為です。そうではなくて、自分と他人との<関係>に大切なのは、「すること」の原因である感情です。つまり、基にある自分の感情を「感じること」が必要です。それに向き合い、語ることです。そうすることで、短い期間でこの人は電車にも乗れて、自分から話せるようになり、先生に質問もできて勉学にいそしむことができるようになりました。
上記のことは利用者だけの問題ではありません。支援をする方にも関わります。客観的データを重視する現代の医療や福祉の現場では、そのデータに基づいて次に何を行うかという「すること」が重視されます。すると、主観的な「感じること」の話題が少なくなります。それで利用者や患者の感情を聞けない恐れさえ出てくるのではないでしょうか?感情を抱えた人を支援していることを今さらながらに顧みる必要があるのかもしれません。
*黒川昭登氏の講演参照。
龍谷大学社会学部及び大学院社会学研究科
(龍谷大学国際社会文化研究所所長、龍谷大学学術文化局吹奏楽部長)
教授 栗田修司
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